Book*

清涼院流水

書名出版社満足度
カーニバル 一輪の花講談社文庫★★★
コズミック 流講談社文庫★★★☆
ジョーカー 清/涼講談社文庫★★★★
コズミック 水講談社文庫★★★☆

「カーニバル 一輪の花」  清涼院流水著  講談社文庫  ★★★

あらすじ

(裏表紙より)
あらゆる犯罪に立ち向かうJDC(日本探偵倶楽部)激震! 十億人を殺す者(ビリオン・キラー)が企てる全人類殺害計画。”犯罪オリンピック”が始動した。ウェブ空間(オンライン)に頻出する噂に過ぎなかった事件を現実にし、かつてない悲劇の引き金を引いたある人物の行動とは?

すべての結果には原因がある。原因を「過去」と言い換えてもいい。

幾つかの要因が絡みあった帰結であれ、結果には、必ず原因がある。

すべての偶然には必然がある。偶然を「奇蹟」と言い換えてもいい。

偶然や奇蹟――というのは、理由がわからない現象の呼び名である。

理由が解明されれば、偶然や奇蹟の幻想は消え、必然が見えてくる。

感想

まずは、同作家の「コズミック 流水」「ジョーカー 清・涼」を読了してから手を出すべき作品だったようです(^^;)。作中で過去の事件として語られている「密室卿事件」や「幻影城事件」などが頭の中に入っていないと、ピンと来ないことが多く、また、登場人物たちが上記作品から引き続いていることもあって、ちょっと置いてけぼりをくらいました(^^;)。

ということで、この作品自体に対する満足度は低めになってしまいました(^^;)。ひとまずこちらのシリーズは置いておき、「コズミック 流」から順番通りに読み進めていくことにします。その後、おそらく満足度なども変わってくるのではないかと思われますが、以下、とりあえず、現時点での感想を。

様々な人物の視点から展開されていく本作ですが、話が三分の二以上進むまで、ことさら何も起きていないところが特徴的ですね。しかも、そこで起きた出来事は事件の本質ですらありません。本当の始まりは、ラストの一文からとも言えます。本、丸々一冊分が物語の序章。期待感は煽られますが、なにぶん全体像が最後まで見えてこないので、非常にもどかしい思いが残ったのは確かです(^^;)。

しかし、現実に起きたさまざまな世紀末的事件を背景に見据えながら、「JDC(日本探偵倶楽部)」という「いかにも」な組織で、スーパースター並の人気を誇る、やたらとアヤシゲな名前の「名探偵」たちが活躍するといった、現実と虚構とのバランス具合はとても面白かったです。「ありえないよー」と思いつつも、そのありえなさが突き抜けているので、いっそ清々しいというか……(^^;)。

独特の感性がはまれば、どっぷり浸って楽しめそうな作品。私自身は、言葉の選び方が興味深いなあと思う一方で、龍宮城之介やサムダーリン・雨恋の口調だとか、見事なまでにぴっちりと同じ字数で一行ずつ改段落された文章など、細かい点がつい気になってしまい(^^;)、イマイチ物語世界に入り込みにくかったところがあります。残念。とはいえ、今後いったい何が起きるのか(←これまたずいぶん根本的な興味ですね(^^;))、たいへん楽しみです。すべてを読み終えた後で、また感想を追加できたらいいな。

(2004.11.10 読了)

「コズミック 流」  清涼院流水著  講談社文庫  ★★★☆

あらすじ

(裏表紙より)
「一年に一二〇〇人を密室で殺す」警察に送られた前代未聞の犯罪予告が現実に。一人目の被害者は首を切断され、背中には本人の血で「密室壹」と記されていた。同様の殺人を繰り返す犯人「密室卿」の正体とは?

――だが、世界はしょせん、小説という密室にすぎない。誰も、外に出ることはできない。宇宙が無限の広さを持った密室であるのと本質は同じだ。人は世界を無限だと信じている。世界が小説という密室だということにも気づかずに……。

感想

「カーニバル 一輪の花」読了後、「どうやらこちらを先に読んでおいた方がいいらしい」と慌てて手にしたのが本作です(^^;)。なお、この冒頭では、「コズミック 流」→「ジョーカー 清」「ジョーカー 涼」「コズミック 水」という、少し変則的な読み方が提案されているので(本来、下巻に当たるのは「コズミック 水」)、読み順にこだわりがちな私としては(笑)、ぜひ、その順番でチャレンジしてみようと思っています。

◎     ◎     ◎     ◎     ◎

次々と起きてゆく密室連続殺人事件。解決編はおろか、トリックも犯人像もわからないまま、一つ一つの事件の描写に終始する展開に、正直、途中で飽きかけたものの(^^;)、犯人らしき人物と、事件を追う立場にあるJDCの探偵たちとのやり取りなどが少しずつ出てきたあたりから、グイッと興味を引き戻されました。

ところで、ひとくちに「密室」といっても、ここでは「密室」と捉えられるすべての状況が当てはまります。上記に挙げた「印象に残った言葉」のように、自分自身が世界そのものに閉じ込められていると感じ、そこから逃れる術はないと考えるならば、どんな場所も「密室」となり得るのです。そうした閉塞感は、皆が多かれ少なかれ感じ取っている思いでもあるため、まさに「密室連続殺人」は、いつ、誰が、被害者と化してもおかしくない事件であると言えるでしょう。本作で描かれた十九の事件のうち、登場人物の多くは「普通」の人間であり、特別、彼が(彼女が)選ばれなければならない理由も、今のところ、まったく見出すことができません。その無作為性には、非常に恐怖を覚えます。

さて、あまりに普遍的であるが故に、彼らが抱えている悩みやちょっとしたエピソードには、時に、取って付けたような青臭さや、「型通り」的なものを感じないでもありませんでした(^^;)。「密室三 砂丘マンションの密室」における、若くして専業主婦となった華音子の寂寥感、「密室四 超高速・国道の密室」における、暴走族リーダーに対する哲也の心酔加減、「密室十三 慎み深い密室」での、宗教団体に似た「慎みの輪」の講演に引き込まれてしまう若葉の単純さ――このへんの人物描写には、多少引っ掛りを覚えなくもなかったり……(^^;)。

本人にとっては一大事だけれども、端から見れば、ありふれた、些細な悩みのように思えてしまうことってありますよね。この作品は、そうした想いの欠片を丹念に拾って事細かに明らかするのがテーマというわけではないでしょうから、余計、表面を軽くさらっただけという印象を抱いてしまったのかもしれません。それこそ、あまりに大量の連続殺人が起きる所為で、「個々の人間」など忘れ去られていくような感覚。ああ、もしかしたらソレを狙ってのことでしょうか。だとしたら、かなり成功していると言わざるを得ないかも(^^;)。

それにしても、壮大なトリックが隠されている予感がヒシヒシとします。現段階では、まったくもって、動機も手段も真の犯人も明らかになっておらず、続きがますます気になるところです。

(2004.11.17 読了)

「ジョーカー 清/涼」  清涼院流水著  講談社文庫  ★★★★

あらすじ

(裏表紙より)
屍体装飾、遠隔殺人、アリバイ工作。作中作で示される「推理小説の構成要素三十項」を網羅するかのように、陸の孤島・幻影城で繰り返される殺人事件。「芸術家(アーティスト)」を名乗る殺人者に、犯罪捜査のプロフェッショナルJDC(日本探偵倶楽部)の精鋭が挑む!

――これは、本当に現実の殺人事件なのかしら?

感想

過剰なまでの装飾に彩られた殺人事件の真相は――? 一歩間違えるとダジャレの世界に行ってしまいそうな、アナグラム・言葉遊びで溢れた物語は、ふざけているのかそれとも大真面目なのか……相変わらず判断に苦しみました(^^;)。「華麗」と「カレー」って、そんなアナタ。よかったですよ、それが正解というわけではなくて(笑)。

作中の言葉を借りるなら「古きものの総決算と新しきものへの飛翔」を目指したミステリと言えるでしょう。「ミステリ」に縛る必要はないかな。「ジャンルミックスの究極のエンターテインメントとして統合」された『物語』を作り上げようとしているのだと思います。ホント、風呂敷の大きさは天下一品です(笑)。

さて、「古きものの総決算」は、「ノックスの十戒」「ヴァン・ダインの二十則」などのミステリの基本原則や、四大ミステリ(小栗虫太郎「黒死舘殺人事件」・夢野久作「ドグラ・マグラ」・中井英夫「虚無への供物」・竹本健治「匣の中の失楽」)などを踏まえた上で新たに提示された「推理小説の構成要素三十項」の実践によってなされています。

「密室」や「暗号」、「見立て」といったお馴染みのものから、「呼称のある犯人」「アナグラム」といった作家の好みの部分にまで到る「三十項」が、最終的にすべて網羅されてしまったのですから、広げに広げ、煽りに煽った展開ながら、よくぞここまでまとめたものだと、その点については素直に感心したいです。え? 何か含みがあるような書き方だって? ええ、まあ、それについては追々と、ね(^^;)。

以下、ネタバレを含みます……が、あまりに長いので隠しません(笑)。未読の方はご注意下さい。また、貶してるのかと取られるような表現が多々見受けられるかと思われますが、屈折した愛情とでも捉えていただければ幸いです(^^;)。

まず、この小説の特徴として、「虚構と現実の交錯」が挙げられるでしょう。それは作中作「華麗なる没落のために」と、現実に書かれた「ジョーカー」との出来事の間に、奇妙な一致があることからも見て取れます。例えば、葵が「客室で溺死してもいいよ」などと、物語の初期で発言していたり、当初書かれるはずだった「麗しき華のごとく、没落は夢のように」で「死ぬのは十四人、密室は七つ」という濁暑院の言葉が「現実」の幻影城殺人事件とリンクしていたり。作中の推理作家と実在の推理作家も同列扱いです。虚構に見せかけた現実を描いている風を装った虚構の物語とでもいうか――あれれ、何だかよくわからなくなってきました(^^;)。

登場人物たちも、散々「自分たちは物語の中にいるのだろうか」と考えます。このへんの描写には、「現実」にここまで現実感を疑うこと(特定の物語世界なのだと)ってあるのかなと感じてしまいましたが……。信じたくない、現実だと思いたくない気持ちというのはわかるけれども、強くこの世界(現実)を「物語」だと置き換えようとする思いは、かえって現実感を強固にするような気がしてしまいます。現実を信じられなくなった時は、もっと曖昧な中にいるのではないかなあ。ぼーっとしたような、ふわふわとした、形のない世界に――。

閑話休題。

で、そんな風に虚構と現実の差を曖昧にしながらも、一方で、「嘘臭い」「推理小説的」だとか「五ページほど前から、ここにいました」といった表現の多用や、わざとらしく都合のよすぎる展開に、いかにも「創られた世界」っぽいなという印象が強まってきます。

また、華と麗の殺しにしても、突発的な事態の割にはドワイフラワーのダリアなんて用意周到過ぎるだろ、とか、空席という名前やら彼の婚約者の空瀬美子だの「席や……」という母親の声の幻聴なんて、後から判明する「源氏物語」の符合を演出するためだけに出てきたとしか思えないよ、だとか、恵の髪型にしても殺人者が何らかの意図を持っていたというのでないなら、誰があの場で揚巻なんてにするんだよ、といったツッコミどころも盛りだくさんです(笑)。雪密室や水密室のように理論としては可能だけど現実的にはどうなんだという疑問に対する答が最後まで得られないところなども含めて、こんなに「虚構的」であることを強調するのは、何か意図があるのだろうかと思わず勘繰りそうになりました(^^;)。

しかし、その「嘘臭さ」がピークに達すると、今度は「これは小説でも、事実を記録したものでもない。紛れもなく現実なんだ」という「現実」論が台頭してくるのですから、ますます「わけわからん」状態に……(笑)。ついに「いったい、どっちだよ!」との思いが爆発し、モヤモヤとしたものを抱えながらも、作者が見せてくれるであろう結論を期待して、ページを繰る手が早まっていくという次第でありました(^^;)。これって狙いなんでしょうか、ねえ?

さて、その注目の「真相」はといいますと……。

二転、三転するどんでん返しの結果、実行犯は「幼稚だからといって子供が犯人ということはないだろうけど」などと作中で言われながらも、まさにその子供である小杉勝利だと判明します。様々な推理が導き出す犯人を否定して否定して、ようやくわかった意外な犯人――さすが、「虚無への供物」を踏まえているだけはあり、最後まで気を抜けずに楽しむことができました。(ただ、自らの作品で述べられた論が自らの作品内で崩される、というのは珍しいですね。このあたりも一筋縄ではいかないものが感じられたり。)

しかし、では真の黒幕、真犯人は誰だったのか、との問いに対し、「誰でもない」などという前代未聞の解答が出されるに到っては、正直、「今まで読んできたことは何だったの!?」と憤りを覚える、というか、むしろ、あまりのうっちゃられ感に、思いっきり脱力してしまいました(^^;)。とにもかくにも、「納得のいかなさ」――この言葉が作中でも使われているところがさらにスゴイのですが(笑)――に、首を捻るばかりです。

「あの推理小説的な殺人は何を目的としているのだろう」と問い直さずにはいられません(笑)。この話の中で最大級の風呂敷だった「千年にまたがる動機」――すなわち、偶然を越えた奇跡的な符合が見られた「源氏物語」の作者・紫式部が「究極の真犯人」であり、「千年にまたがる因縁こそ、幻影城殺人事件を陰で操っていた狂気なのではないか」という「真相」には、やはり無理があると思われるのですが……(^^;)。

「ああでもない、こうでもない」と考えた結果、この作品が主張しているのは、以下のようなことではないかなのかなと思い至りました。「犯人は誰でもない」ということは、言い換えれば「誰でもいい」ということです。「全員が同じ」「差別は無意味」――それが指し示すのは、判断・解釈の自由さです。

「書かれた」時点で、すべては過去のものになり、虚構となります。そして、改変も可能です。どこまでが現実でどこからが虚構か判断できるものは誰もいません。となれば、最終的に「物語」を完成させるのは、その「物語」をどう読むかは、読者自身に委ねられてきます。論理に絶対はないのです。私たちは常に、無限の可能性の中から一つの可能性を導き出しているに過ぎません。真実は、不確定である――。

だから、平面(二次元・本の世界)で明かされる「真相」は、あそこまでだったのではないでしょうか。立体(三次元・現実世界)での「最後の真相」は読者自身が決めればいいのです。永遠に続く物語は読者の想像の力によって完成します。「真実」は自分で判断、解釈するもの。人それぞれに、人それぞれの真実がある――今までの他の作品でも描かれてきた感じもしますが(^^;)、そういうことなのかな、と。

唐突に思えた「源氏物語」の出現にしても、「源氏物語」は一人の作者ではなく、読者が付け加えたり、展開に対して希望を申し入れたりする中で生まれたという、複数作家説があることを考えるならば、この「犯人は誰でもいい」、つまり、読者が完成させる物語には、もっともな選択だったのかなという気もしました。

幻影城殺人事件は、世界、物語、謎(ミステリ)の、すべての根底にある神理――『神の理』を暗示するものだったのです。

初めてそれを読んだ者は、世界が崩壊するのを知る。もはや、物語は何ら意味をなさないのを悟る。そして、既にそれを知っていた者たちがこれまでそうしてきたように、天の涯から忘却の闇へと、嫌なことは如意棒で押し出す。

――それでいい。『果て』を承知していれば、道を誤ることはないのだから。

おそらく、主人公は『小説』そのもの。物語、小説が本来持っている面白さを単純に楽しみたい――そうした思いから出来上がった物語とでも言えるでしょうか。瀬名秀明の「八月の博物館」にも通じるような……。いやはや、それにしても、風呂敷の大きなお話です(しつこい)。是非、実際に読んでみて、自分なりの「判断」「解釈」をしてもらいたいと思います。

最後に余談。私は犯人は「清涼院流水」だと思っています。どうでしょうか、この「解釈」は?

(2004.11.28 読了)

「コズミック 水」  清涼院流水著  講談社文庫  ★★★☆

あらすじ

(裏表紙より)
日本全国を恐怖に陥れた大量密室連続殺人事件がついに解決。驚倒すべき動機、トリック、真犯人とは?

世界も、歴史も、記録されることによってのみ、存在しています。そもそも人間の歴史とは、言葉や時間というものに区切られたところに由来します。密室に似ているかもしれませんね。

感想

「こんなのアリ!?」というのが率直な感想です(笑)。ここまで大きく広げた風呂敷を畳むには、こうした動機やトリックしかあり得ないのはわかるけれど……しかも、割とその着眼点は悪くないなと思うけれど。どうにも「騙された」感が強く残ります(^^;)。

なのに、切って捨てられない何かがあるんですよね。「この感覚は何だろう」と思っていたら、文庫版の解説の中に、まさに的を射た表現がありました。

清涼院流水作品を蛇蝎のごとく嫌っている読者でさえ、なぜか黙殺することはできない。「あんまりひどいからぜったい読めと友達に言われて読んだら、ほんと筆舌につくしがたいものすごさだったので、思わず妹にすすめてしまいました」みたいな話はあちこちに転がっているし、(後略)

私はここまで「ひどい」とは感じていませんが(^^;)。他にも「うんうん、そうなんだよね。いやホント」と頷ける内容がこの解説には満載でしたので、是非ご一読下さい。特に私は「車田正美はけっこう近いかも」というくだりで、一気にいろんなことが納得できてしまいました(笑)。真保裕一の「ホワイト・アウト」は日本版ダイ・ハードだ――という感想を読んだ時に受けた、腑に落ち加減とよく似ています(笑)。

いろいろ文句を言いながらも、ああじゃないこうじゃないと考えさせられる点ではピカイチの作家さん・作品ではないでしょうか。ただ、作者推奨の「ジョーカー 清/涼」「コズミック 流」と、この「コズミック 水」で挟むという読み方をすると見えてくる仕掛けというのが、残念ながら私にはあまりピンときませんでした(^^;)。確かに、この順番で読むと話の流れはすんなりしているように思えますが……「え? あと何かあるの??」とクエスチョンマークばかりを飛ばしているお馬鹿な私にどなたかご教授いただけると幸いです(笑)。

ちなみに、もし、「ジョーカー」と「コズミック」を別々に読むなら、先に「ジョーカー」を読むことをオススメします。どちらかというと、「ジョーカー」の方が普通のミステリっぽいので(^^;)、取っ掛かりやすいのではないかと。時間軸的にも合っているしね。

(2004.11.28 読了)

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