Book*

森絵都

書名出版社満足度
カラフル オススメ理論社★★★★
リズム講談社★★★
ゴールド・フィッシュ講談社★★★
つきのふね オススメ講談社★★★★☆
DIVE!! 全4巻講談社★★★★
アーモンド入りチョコレートのワルツ オススメ角川文庫★★★★
宇宙のみなしご講談社★★★★
永遠の出口集英社文庫★★★★
風に舞いあがるビニールシート オススメ文春文庫★★★★☆

「カラフル」  森絵都著  理論社  ★★★★

あらすじ

「おめでとうございます、抽選にあたりました!」
死んだはずの僕の前に、笑顔の天使が現れ、こう告げた。前世において罪を犯した僕の魂は、本当なら、二度と生まれ変われないはずなのだが、下界の「ホームステイ」先で修行を積んで輪廻のサイクルに復帰できるよう再挑戦のチャンスが与えられたというのだ。

服毒自殺を図った小林真の身体に入り込み、彼に成り代わって、彼の家で「ステイ」を始めた僕の魂。次第に明らかになる真の環境は「自殺したくなるのもおかしくない」ほどに非常に厳しく、僕もほとほと途方に暮れるのだったが――。

人は自分でも気づかないところで、誰かを救ったり苦しめたりしている。

この世があまりにもカラフルだから、ぼくらはみんないつも迷ってる。

どれがほんとの色だかわからなくて。

どれが自分の色だかわからなくて。

感想

自殺にまで追い込まれてしまった真の心情は、とても深刻なものがあったと思うのですが、一歩引いた立場である「僕」の客観的な視点や天使とのやり取りといったファンタジーの要素が、その深刻さの度合いを和らげています。だから、読んでいてもそれほど重くなりません。同じ悩みを抱えた人たちの気持ちをふっと引き上げてくれるような、それでいて、きちんと問題とも向き合えるような、本当に読後感の心地よい物語です。

「特別」であることを多くの人が望む中で、「特別」な真が望んだのは「普通」であることでした。この点が本作の一番の特徴ではないかと思います。真は「特別な一人」になりたかったわけではなく、「普通のみんな」に溶け込みたかったのですね。個性だとか自分らしさといったものが尊重される風潮の中で、これは一つの警鐘でもあるのかもしれません。当たり前であることの幸せを、決して軽視したり、ないがしろにする必要はないのだよ、という……。

一人の人間が持つ色は一色ではありません。たくさんの色を持っています。人によって、どの色に注目するかは違ってきて。でも、そのどれもが確かに、自分を構成する色なのです。そして、お互いの色が混じり合った時。絵の具の色は混ぜれば混ぜるほど、黒に近づいていくけれど、光の色は、逆に、透明へと近づいていくように。それは、美しい変化をもたらすかもしれないし、どうしようもなく濁っていくだけかもしれない。綺麗さと汚さを同時に内包する「色」。どちらが発現するかは、自分自身の選択と他者との関係次第。彼らが(そして私自身も)、これから先、どのような色を見つけ、生み出していくのか楽しみです。

(2004.05.28 読了)

「リズム」  森絵都著  講談社  ★★★

あらすじ

中学一年生のさゆきには、二つの「我が家」があった。一つは両親と姉が暮らす、本物の家、そして、もう一つは親戚の「真ちゃん」の家である。しかし、仲良く暮らしていた二つの家族にも、いつしか転機が訪れていた。さゆきの知らぬ間に、大好きな「真ちゃん」の家では、離婚という修復不可能な局面を迎えていたのだ。ショックを受ける彼女へ追い討ちをかけるように、真が自らの夢を追い求めて新宿に出て行こうしているという情報が……。ずっと変わらないと思っていた日々が終わりを告げようとする中、さゆきが見つけたものは――。

「そう、さゆきだけのリズム。それを大事にしていれば、まわりがどんなに変わっても、さゆきはさゆきのままでいられるかもしれない」

感想

何気ない日常の中に起きる、小さな波紋。それを止める術は結局見つからず、みな、それぞれの道を行くことになります。もしかしたら人は、「もう二度と、あのころのようにはもどれない」と実感することによって、大人へと成長していくのかもしれません。いつまでもその場に留まることはできず、どんどんと変わりゆく日々。何一つ確かなものなどなく、今ある幸せもやがては消え失せてしまうという絶対的な移ろいを感じる時が、ある日必ずやってきます。

そこでふと浮かぶ、そんなふうに変わっていくならすべては無駄なものではないか、信じられるものなんてこの世には何もないのではないかという考えは、とても虚しく怖ろしいものです。しかし、だからといって、幸せな記憶や美しい出来事の輝きが消え失せてしまうわけではないはずです。その時感じた気持ちは、その時その時で「真実」であることに違いはないのだから。たとえ、いつかは変わっていくのだとしても、一瞬の中に存在する永遠を、否定することはできないでしょう。

自分自身の変化を怖れず、なおかつ、周りの変化に惑わされることなく。自分だけの揺るぎない「リズム」を生み出せたなら、きっと、自分を取り巻く世界の中に、前とはちょっとだけ違う自分の中に、ステキな「未来」を見つけられるはず――少しだけ哀しくて、でも、明るさを感じさせるラストが心地よかったです。

中学時代を遙か彼方に置いてきた私としては、あんまりキラキラと眩しすぎた感もありますが(笑)、非常に瑞々しさの溢れる、素敵な物語でした。中学生に是非オススメです。

(2004.10.11 読了)

「ゴールド・フィッシュ」  森絵都著  講談社  ★★★

あらすじ

自分の夢を追って、新宿でバンドを結成した真治。そんな「真ちゃん」のことが大好きなさゆきに、突然知らされた彼の「現実」。幼馴染みのテツも何だか急に大人びてしまい、一人取り残された気分のさゆきは、いろんなことを考えないで済むように、受験勉強に没頭するが……。彼女の狂った「リズム」は、果たして取り戻せるのか――?

「だから、真ちゃんにはなんとなく、がんばってもらいたかったんだ」

「……でも、夢を見る真ちゃんを世間の人たちは傷つけるんだって」

感想

中学一年生のさゆきを描いた「リズム」の続編。ずっと夢を追い続けようとする真治のような人の足を引っ張ろうとする世間の厳しさと、それでもどこかで、夢を追う人に自分の夢を重ね見ながら応援したくなる気持ち、そして、さゆきが等身大の自分の夢を見つけていく過程が丹念に綴られています。

「その後」ということで、好転したこともあるし、今回大きく揺れ動いたこともあります。全体的には厳しさを孕みつつもハッピーエンドだっかのかな。「激しく落ち込んで激しく立ち直る」さゆきが、相変わらず可愛らしかったです。いじめられっ子だったテツはずいぶんといい男に成長しましたね。そして、真治。彼はきっと「ずっと変わらないでいて欲しい」と周りから夢を託される種類の人間なのでしょう。世の中は甘くないのだけれど、甘いことがあってもいいじゃない、って思わせられます。

さて、さゆきの気持ちにはとても共感できるのですが、残念ながら「今の私」の物語ではないのですよね。どうしても物足りなさを感じてしまいます。あの頃にはとても必死だったことも、今では懐かしく思い返すばかり。でも、これは思い出に浸る作品ではないと思うのです。「中学生の私」にとって、切実に必要とされる作品なのではないかと思うのです。もちろん、いろんな世代がいろんな読み方をすることもできるでしょう。でもやはり、この「リズム」「ゴールド・フィッシュ」という作品は、「現役」に読んで欲しいなと感じます。

用務員さんの林田さんがいいですね。教師の立場以外で子どもを見つめてくれる大人もいてくれないとね。とはいえ、今は和室の用務員室ってないんじゃないかな、とか、日曜に当番ってこともあり得ないよな、などと、非常に「現実的」なことを考えてしまったのは、私が学校に勤めているから(笑)……ああ、つい、こういうことを書いてしまう自分が何だか悲しいな(^^;)。

(2004.12.19 読了)

「つきのふね」  森絵都著  講談社  ★★★★☆

あらすじ

ある事件をきっかけに、気まずくなってしまった親友同士のさくらと梨利。梨利のことが好きな勝田は、その後どんどんと道を踏み外していく梨利を心配し、彼女たちの仲を修復させようと、梨利がそうした行動を取る原因となったと思われるさくらを追い回し始めた。そのさくらが向かうのは、宇宙船の設計に励む智という青年の家。彼は、その船で全人類を救うのだと言う。さくらはそんな智のもとで、親友を失った心の癒しを得ていたのだった。

いつの間にか、さくらと智の間に入り込んできた勝田を交え、三人の不思議な交流が始まった。しかし、智は次第に精神のバランスを崩していく。そんな智を見兼ねた勝田が持ってきたのは、「真の友 四人が集いし その時/月の船 舞い降り 人類を救う」という古文書だった――。

「ずるいよ、なんか自分だけ不幸みたいで。梨利は人より大変な性分にうまれついたと思ってんのかもしんないけどさ、自分の弱さをこわがってんのかもしんないけど、でもほんとはみんな一緒じゃん。だれだって自分のなかになんかこわいもんがあって、それでもなんとかやってるんじゃないのかよ」

感想

最近、涙腺がゆるいもので、ついついラストではホロリときてしまいました。素敵なお話です。とても素敵なお話です。すべてのエピソードが、ラストに収束していく心地よさ。全部が繋がっていて、全部が必要で、そして、あの場面に辿り着いたのだとしたら――辛いことも悲しいことも、何一つ欠けてはいけなかったものなのだと思えます。

◎     ◎     ◎     ◎     ◎

ノストラダムスの予言の実現を待ち望んでしまう心境って、あるのではないでしょうか。何もかも終わらせたい気分。否が応もなく、勝手に終わってしまえば楽だな、という感じ。梨利の気持ちはそれとはちょっと違うのかもしれないけれど。未来に怯えているという意味では、一緒なのかな。

ところで、「だいたいなんで一九九九年なわけ? 一九九九年なんて、あたしたちまだ十五歳じゃん。十五で死ぬなんて最悪だよ」「ほんと、三十や四十ならあきらめもつくけどさ」という、梨利とさくらの会話に、ものすごく若さを感じてしまいました(^^;)。私も同じようなこと考えていたなあと懐かしく……いえ、一九九九年に十五歳ということは、まったくもってありませんが(笑)。

「四十歳くらいで死んでもいいなー」なんて、以前は言っていたものです。それほど長生きなどしたくなかったし。近い将来のようでいて、ずっと先だと考えていたのかもしれません。そして、当たり前のように、四十歳を自分は迎えるものと思っていました。我が事なのに、どこか他人事だったのですね。未来は朧気で、でも、その存在だけは確信していたような気がします。ただ、そこにいる自分は、うまく見えなかったけれど。

今はね、生きているうちは生きていられた方が良いし、生きていかなければいけないから、まあ、がんばって生きていこうと思っています(笑)。とりあえず、「○○歳くらいで死んでもいいなー」とは、思っても平気で口に出せないくらいの経験は積んできてしまったみたいです(^^;)。いや、ほんと、全然当たり前なんかじゃないから。私は想像していた未来に、ことごとく裏切られてきていますが(^^;)、それでもちゃんと未来がやってきたのは、とても幸せなことだったと思うので。この後に待っているのもどうしようもない未来だとしても、それでも、ね。だから、未来は来た方が良いんだよ、たぶん、きっと、絶対。

◎     ◎     ◎     ◎     ◎

彼女たち四人の前に現われた月の船。それはとても小さなものだったけれど、全人類を救いはしないのかもしれないけれど、でもちゃんと、さくらたちは救われました。誰の下にも、月の船は来るはずです。だから、決して見逃さないように。今、目の前にあるその「存在」に、きちんと気がつきますように――。

……ということで、なんだか、えらく外れてしまった感想は、これでオシマイ。未読の方はこのようなブツに惑わされることなく(^^;)、ぜひ自分なりの読み方をしてください。オススメ。

(2005.07.22 読了)

「DIVE!! 全4巻」  森絵都著  講談社  ★★★★

あらすじ

経営が危ぶまれるミズキダイビングクラブ(MDC)で高飛び込みに励む知季たち。そんな彼らの前に「クラブを守りに来た」という謎の女性コーチが現れる。一方、津軽からは海でしか飛ばないという噂の少年が上京し、MDCの一員となった。クラブ存続の鍵は、クラブの誰かがオリンピックに出場すること。さまざまな思惑が絡み合い、MDCのエースである要一が、オリンピック候補に内定されるが……。

一瞬の演技に賭ける高飛び込みという競技で、自らに挑戦する少年たちの姿を描いた、一味違ったスポ根物語。

「うん、四回半なんて夢みたいな話だけど、でも、だからこそ越える価値があると思った。ぼくが決めて、ぼくが越える枠。だから誰にも邪魔されない。成功すればはっきりとわかるし、誰の目にも見える。そんなクリアな枠が欲しかったんだよ」

感想

高飛び込みという、あまりメジャーでない競技に非常に興味が湧きました(^^)。知季、飛沫、要一という違ったタイプの選手が、それぞれ魅力的に描かれた、素敵な物語。ちなみに、私の好みは要一です(笑)。こういう、先頭切って走っていて、そこはかとなく不器用で、自分で自分を追い詰めちゃって、なのに自信満々というタイプは大好きだったり(^^;)。

読んでいて、「絶対評価」という言葉が思い浮かびました。それぞれの人にそれぞれの枠があって、全部違う枠だけれども、越えられれば、それはその人にとってのかけがえのない力になる――。今、学校の成績も相対評価から絶対評価に変わってきています。たぶん「相対」の方がずっと成績は付けやすいはずです。「絶対」はそれぞれ違う個人の能力をきちんと測って、その中でその人がどれだけのことをクリアできたか、クリアしようとしたか見定めなければならず、数字だけでは表すことができません。評価者の力量も求められるし、評価される側も自分自身で設定を低くすることなく努力する必要があるでしょう。

相対評価はわかりやすさというメリットはあるけれど、それだけでは掬い取れない部分が多くなって、このような形に移行してきたのだと思います。先にも書きましたが、みんなの中で、ではなく、自分の中で枠を作ってそれを越えられるか、という目標設定は、とても難しいことです。だけれども、だからこそ、それは自分だけの、自分にとって大切な評価となるのではないでしょうか。勝手に作られた枠で勝手に評価されるのではなく、自分で作った枠で自分で評価する、ただ、そこで自己満足に終わるのではなく、周りにもわかるようにアピールするのは、さらに大変なことだと思いますが。

「DIVE!!」では、知季が四回半、飛沫がスワンダイブ、要一がSSスペシャル’99(←このネーミング最高です(笑)。「スーパー・シュリンプ」って、そんなあなた(^^;))と、それぞれの個性を活かした「枠」が明確に設定されています。苦しい道のりかもしれないけれど、はっきりと「枠」が目の前に存在している彼らというのはとても幸せなのではないかなとも感じたり。なかなか、そうそう「枠」は見つけられないような気がするので。そういう意味では、やはり彼らは選ばれた人たちなのかもしれないですね。

第4巻の試合展開は、本当にハラハラドキドキでした。一演技ごとにスポットライトの当たる位置が替わって、みんなが輝いて見えました。主役ではないレイジやサッチンも、です。特にサッチン。彼の、要一たちが「世界の軸が狂いそうになるたびに、十メートルの垂直なラインでもとどおりにしてくれた」と思う気持ちは、心にストンと響きました。そういう「垂直なライン」って、欲しいよね。自分では作れないなら、誰かが見せてくれないかな、と。でも、サッチンの掲げた旗も、きっと「垂直なライン」の力になったのではないかな。何だかすごく好きなシーンです。

それにしても、どの子にも負けて欲しくないし、でも、決着がつかないのも何だし……といった具合で参りましたね(^^;)。で、結局、ちょっと大団円過ぎるかなという気がしないでもないラストとなりましたが、これはこれでホッとしました。良かったです。収まるところにきちんと収まったラストって好き。でも、また、そこからがスタートなのです。まだまだ物語は終わっていません。

続編があったら是非読んでみたい作品となりました。知季の、飛沫の、要一の、それぞれがそれぞれの枠を越えていく様子を、この先もずっと見られたらいいな。

(2005.08.15 読了)

「アーモンド入りチョコレートのワルツ」  森絵都著  角川文庫  ★★★★

あらすじ

(裏表紙より)
ピアノ教室に突然現れた奇妙なフランス人のおじさんをめぐる表題作の他、少年たちだけで過ごす海辺の別荘でのひと夏を封じ込めた「子供は眠る」、行事を抜け出して潜り込んだ旧校舎で偶然出会った不眠症の少年と虚言癖のある少女との淡い恋を綴った「彼女のアリア」。シューマン、バッハ、そしてサティ。誰もが胸の奥に隠しもつ、やさしい心をきゅんとさせる三つの物語を、ピアノの調べに乗せておくるとっておきの短編集。

「あたしたちが大人になったらさ、好きなもんを好きなように好きなだけ作って、そんで毎日を木曜日みたいに、きらきらさせてやろうな。そんで、そんで……」

「それで?」

「そんで絶対に、終わらせないんだ」

(『アーモンド入りチョコレートのワルツ』)

感想

一つの季節の終わり、過ぎ去ってゆく時の流れを描いた三つの物語が収められた短編集です。味わいはビタースイート。ほんのりとした苦さが、より、物語の優しさを引き立てているような気がします。

過ぎてしまってから、それが、どんなにか美しく、かけがえのないものであったかに気づくことは多いです。なぜ、その時にはわからなかったのかと、後悔にも似た感情を抱くのは、もう決して、そこには、その時の自分には、戻れないから。同じものは、二度と、手に入らない。知っていたら、もっと大事にして、もっと噛み締めるように、その幸せを味わったのに――そんな想いを募らせます。

時の流れとともに、すべてが変わっていってしまうのは、とても哀しいことだと、ずっと感じていました。でも、最近、思うのです。何も変わらずに、そのままであれば、失うことが一度もなければ、きっと、自分が持っていたものの貴さに、少しも気づくことなく、日々はただ過ぎていってしまうのではないか、と。なくしてみなければ気づけない想いというものが、あるのではないかな、なんて。そしてまた、そうした経験を得て、初めて、今、自分の中にある、いずれ失われてしまうかもしれない何かを、大切にしたいと考えられるのかもしれないな、なんて……。

もう一度、過去に戻れたとしても、たぶん、また同じことを繰り返してしまうと思います。でも、それで良いのです。その時には、わからないのだから。わからないからこそ、良いものなのだから。年配の人などに「もっと、こうした方がいい」といったアドバイスをもらうことがあっても、その時は、ついつい反発などして従わず、後になってから、その言葉の意味を痛感したりするものですが(^^;)、しかし、それは、そうでなければいけないような気もします。知らないでいられたからこその感情というものが、確かにそこには存在していて、知っていたら、また、別物になってしまうはずなので。

……何やら、「あれ」だの、「それ」だの、指示語が多過ぎて、非常にわかりにくい文章ですが(^^;)、つまりは、「なるようになる」というか、「なるようにしかならない」というのは真理だな、と言いたい訳です。え? そうだったの?(笑) まずい、ますます意味が解らなくなってきたような……(^^;)。

◎     ◎     ◎     ◎     ◎

「子供は眠る」
少年時代の終わり、というのは、何ゆえ、こんなにも切なく、キラキラしているのでしょうか(^^;)。閉じた世界の美しさというか、期間限定の透明さというか……ええ、ものすごく好みですとも(笑)。特に、章の不器用さが愛しかったです。同作家さんの「DIVE!!」に登場する要一が思い起こされてなりませんでした(^^;)。

「彼女のアリア」
この短編集の中で一番好きなお話です。「だったら楽しい嘘のほうがいいじゃない。嘘の中で生きてたほうがずっといいじゃない」という藤谷りえ子には、激しく共感、泣き笑い。また、すべての嘘にハッピーエンドを与えていき、それを「ぼく」がまるごと受け入れていくラストがとても良かったです。二人の淡い感情と、不確かだけれどもなくてはならない関係というのが、とてもツボでした。

「アーモンド入りチョコレートのワルツ」
サティのおじさんが残した、「アーモンド入りチョコレートのように生きていきなさい」という言葉。主人公の奈緒には、ストンと理解できたようですが、私には、少しばかりピンと来なくて(^^;)、その意味を、ずっと考えています。

「アーモンド入り」というのが、ポイントなのかな。異物(他者)と、一体化し溶け合うのではなく、お互いに独立した形で、お互いの存在を引き立てながら、自らの中に、異物(他者)を受け入れて生きていく――今の時点での答えは、そんな感じです。これからまた、違った解釈が出てきそうな気もするけれど。限定してしまう必要は、きっとないでしょう。こんなふうに、物語に広がりを感じさせてくれるラストというのも、なかなか良いものだな。

◎     ◎     ◎     ◎     ◎

本当に読後感の気持ち良い、素敵な短編集でした。この中に登場した曲を聴きながら、是非もう一度、読み返してみたいです。

(2005.11.19 読了)

「宇宙のみなしご」  森絵都著  講談社  ★★★★

あらすじ

中学2年生の陽子と一つ下の弟・リンが考え出した、ワクワクするような「遊び」――それは、寝静まった街に繰り出し、見ず知らずの他人の家の屋根に登るという、他愛のない、けれどもスリル溢れるものだった。そんな姉弟の間に、ある日、陽子の同級生である「七瀬さん」が入り込んでくる。教室内でもおとなしく目立たない彼女が、いったいなぜ? しかも、クラスの使いっ走りとして認識されている「キオスク」まで、「屋根登り」に参加したいと言い出すではないか。陽子の困惑を置き去りにして、彼女の世界は知らず知らずのうちに変化していくことになる――。

ふだんはぜんぜん思うようにいかない、もしかしたらわたしたちを無視しているかもしれないこの世界だって、いまだけはわたしたちを中心に回っている。

感想

登場人物たちが、それぞれ魅力的です。陽子の屈託のなさとリンの素直な優しさはとても愛しいし、自らの居場所を見つけようとしている七瀬さんや、今は仮初の姿で自分には別の使命が託されているのだと信じているキオスクには、非常に共感を覚える部分がありました。

ところで、何でも一緒に行動しないと不安だという、中学時代の女子にとかくありがちな性質に、イマイチ溶け込めない子――この物語でいえば七瀬さんのような――というのは、読書好きに多いタイプような気がしてなりません(←自分も含めて(^^;))。この手の人物が本の中に登場しやすいのはそのためかしら、なんてことを考えてみたり(^^;)。陽子に惹かれるのは、きっと、彼女が群れていなくても動じない強さを、何の気負いもなく持っているからでしょう。しかも、彼女は、自分の行動に、変な理屈をつけることがありません。いつも自然体であるところが、また素敵なのです。大人の勝手で的外れな解釈を、さらりとかわして――自分の中にある部分とない部分を投影したその姿に、素直に憧れを持ってしまいます。

さて、「屋根登り」に対して、「自分を変えるきっかけ」とか、「乗り越えるべきハードルの象徴」とか「別世界への入り口」といった説明を付けることは、いくらでも可能かもしれません。でも、それは、どれも間違ってはいないけれど、本当の正解というわけではなさそうです。そんなふうに、はっきり言葉で言い表せるようなら、たぶん、「屋根登り」は、初めから必要ないはずだから――。

上に挙げたような説明はすべて、今現在の状況に少なからず満足していないという状況があってのものだと思います。もともと、いろんな遊びを陽子が考え出してきたのは、「退屈に負けない」ためでした。世界というのは、ただ放っておけば、つまらない、取るに足りない存在と成り果ててしまいます。そして、また、人はとてつもなく一人きりの存在でもあるのです。陽子が、いつも弟のリンと一緒に遊びを考えていたのは、一人の寂しさを紛らわすためでもあったのではないでしょうか。

いちばんしんどいときはだれでもひとりだと知っていた。

だれにもなんとかしてもらえないことが多すぎることを知っていた。

だからこそ幼い知恵をふりしぼり、めちゃくちゃでのやりたいようにやってきた。

(略)

宇宙の暗闇にのみこまれてしまわないための方法。

みなしごの生きのこりかただ。

「でも、ひとりでやってかなきゃいけないからこそ、ときどき手をつなぎあえる友だちを見つけなさいって、冨塚先生、そういったんだ」

最後の決着の付け方もまた、陽子らしいですね。「大好きな遊びだから、大事な思い出だから、ちゃんと自分たちでけりをつけたいじゃない」。潔くて、それでいて、何だかんだとキオスクのことと思い遣っていて、すごく素敵でした。

「屋根登り」という、「宇宙の暗闇にのみこまれてしまわないための方法」は、これで失われるけれども、代わりに「ときどき手をつなぎあえる友だち」が見つかったわけです。これから、陽子は、リンとだけでなく、七瀬さんやキオスク――そして、また別の誰かと――新しい「遊び」を、宇宙を照らす光を、見つけ出していってくれることでしょう。

◎     ◎     ◎     ◎     ◎

この作家さんが描く友情は、飾り気のない、装ってない、生のままの友情という感じがします。「ああ、友だちっていいな」と素直に思える。キャリアウーマンのさおりの言葉ではありませんが、「純粋に友だちのことでなやむなんてこと、めったになくなっていくもんだから」、陽子たちの悩みは、どこか眩しいものにすら見えました。本人たちは、すごく真剣なのだろうけれど、その真剣さが愛しいのです。

中学校は、取り替えのきかない、たった一つの場所であるから問題であり、また、貴重である――本当にそうだと思います。その場にいる時は、ひどく限定された逃げ場のなさがしんどいこともあるけれど、あとから振り返ってみると、限られているからこそ濃密で、かけがえのないものが存在していたようにも思えます。大人の戯言かな? 現役生にとっては、それどころではないですよね(^^;)。中学生の時に読んでいたら、きっとまた違った感想を抱いていたことでしょう。

……ということで、中学時代を遠く過ぎ去ってしまった(笑)人にも、是非読んでいただきたい物語です。あの頃の純粋な必死さというのは、振り返るのはどこかキツイのだけれど、それでもやっぱり、忘れないでいたいから――。懐かしさに溺れるのではなく、また、前を向いて歩き出していく元気を与えてくれるような森絵都作品が、とても好きです。オススメ。

(2006.03.13 読了)

「永遠の出口」  森絵都著  集英社文庫  ★★★★

あらすじ

(裏表紙より)
「私は、<永遠>という響きにめっぽう弱い子供だった。」誕生日をめぐる小さな事件。黒魔女のように恐ろしい担任との闘い。ぐれかかった中学時代。バイト料で買った苺のケーキ。こてんぱんにくだけちった高校での初恋……。どこにでもいる普通の少女、紀子。小学三年から高校三年までの九年間を、七十年代、八十年代のエッセンスをちりばめて描いたベストセラー。第一回本屋大賞四位作品。

どんなにつらい別れでもいつかは乗りきれるとわかっている虚しさ。決して忘れないと約束した相手もいつかは忘れると知っている切なさ。多くの別離を経るごとに、人はその瞬間よりもむしろ遠い未来を見据えて別れを痛むようになる。

感想

主人公の紀子とは、ほぼ同年代のため、物語のあちこちに散りばめられた細々とした事柄が非常に懐かしく、また、親近感を覚える物語でした。紀子とまったく同じように過ごしていたわけではないけれど、それでも、とても共感できることが多かったです。

◎     ◎     ◎     ◎     ◎

「永遠の出口」「黒い魔法とコッペパン」「春のあなぼこ」

「永遠」という響きに弱かった紀子が、初めて、永遠も一生もどうでもいい、そんな不確かな存在よりも、今、目の前にある出来事をどうするかが問題だと感じた、小学生時代のお誕生日会でのエピソードが良かったです。友達との関係や、プレゼントの中身など、「ああ、そうだった、そうだった」と頷くようなものばかりでした(笑)。

「小学生の頃、学校の先生は、神様だった」というのも、わかります。私自身は幸いにも、こういう担任には一度も当たりませんでしたが、確かに、別のクラスには存在していました。

教室は、閉ざされた世界です。外から見えることは、ほんの一部分。そこで何が起こっているのかを窺い知ることは、たいへん難しく、特に、この当時は、今よりももっと、そういう傾向が顕著だったのではないでしょうか。

小さな、小さな世界だけに、支配者の権力は絶大となります。彼らの意見と異なることは、許されません。非常に画一的で、絶対的な世界の出来あがりです。その中では、ただのヒステリックなおばさんが、膨大な力を駆使する黒魔女にもなってしまう――見えないことは、見えなくさせることは、とても恐ろしいことですね。

昨今、外部評価というものが学校に導入されてきているのは、閉ざされた世界に風穴を開け、こうした弊害を避けるためなのでしょう。まあ、これはこれで、いろいろ問題もあるのですけれどね(^^;)。みんなが好き放題言ってきて、声の大きい人の意見にかき回されたりだとか。ただ、内部も外部も、お互いに情報を得るというのは、確かに必要なことだと思います。いろんな世界を知ることで、思考は柔軟になり、より多くの人たちが、息をしやすくなるはずなので――。

◎     ◎     ◎     ◎     ◎

「DREAD RED WINE」「遠い瞳」「時の雨」

嵐のような、中学時代。この頃を振り返ってみると、何だかとてもキツかったなあという気持ちしか蘇って来ません(^^;)。人間関係の距離の取り方が、途轍もなく難しかったです。あと、訳のわからない厳しい校則だとか、先輩たちによる理不尽なルールとかもいっぱいありましたね。

他愛のないことであったり、逆に、それほど深刻には捉えていないことであったり――中学生当人と大人では、事の重要性の感じ方は大きく異なっています。思い出は美化されていくものだし、忘れたいことは忘れてしまうから。当時、大人から向けられる言葉に、「何か、違うよなあ」と思っていたのに、いつの間にか、同じことをしてしまっている自分に気づきます(^^;)。自分の勝手な「中学生像」を、今、彼らに押し付けてはいないかと、身につまされる思いがしました。

そうそう、紀子の母宛ての手紙にある、「〜ですネ」「〜なのヨ」といったカタカナの使い具合が、自分の親とまったく一緒なのが笑えました(^^;)。「ああ、本当に、紀子は自分と同年代なんだなあ」と再認識してしまった部分です。

◎     ◎     ◎     ◎     ◎

「放課後の巣」「恋」「卒業」

高校時代、私はアルバイトとも恋とも、まったく無縁の生活をしていました(笑)。

アルバイトに関して言えば、私は、学生時代に働く必要性はあまり感じていません。働く機会というのは、その先いくらでも存在するけれど、学生でいられる期間というのは、本当に限られていて、そこでしか経験できないものがたくさんあるからです。なるべく、その世界を味わい尽くすには、別の世界に時間が割かれない方がいいのかなという気がするのですよね。

「放課後の巣」でも語られていましたが、アルバイトというのは、どこか逃げ道が存在しているのではないでしょうか。踏みとどまらなければならない場所で踏みとどまることでしか、手に入れられないものが、きっとある。まずは、それを手にすることが大切で……。ただ、アルバイトなどの世界を経験することで、「踏みとどまらなければならない場所」のことが、よりいっそう見えてくるということはあるかもしれません。だから、決して必要ないとは言い切れないのですが……まあ、このへんは、個人の選択次第かな(^^;)。

さて、一方の恋はといいますと。こちらに関しては、もっと恋に走っておくべきだった、と痛切に感じています(笑)。これこそ、まさに「この時」にしかできないことの代表ではないでしょうか。でも、当時は、恋をしたいような良い男を見つけることが、どうしてもできなかったのです(笑)。そのあたり、大学生になってから、一応取り返していますが(^^;)、中学や高校時代にちゃんと人を好きになっていたら、もっといろいろ違っていただろうなという思いは、今でも尽きません。

恋において本当に重要なのはこういうことなのだ。

毎日の会話。

間断のない関係性。

それを保つための相互努力。

すなわち、この広い世界でこの人とだけは確実につながっている、と互いに思わせ続けること。

恋とは、幻想や思考ではなく、実体や行動が大事なのだと思います(←私は、高校生の当時、かなり頭でっかちでしたから、いろいろ逃していたのではないかと(^^;))。脆くもあるし、強くもあるモノ。世界を狭めることもあれば、広げもするモノ。やはり、若いうちに恋はしておくべきですね(笑)。もしも、高校時代に時が戻ったとしたら、私は、恋をすることに、真っ先に全力を注ぎたいです(笑)。

自分のすべてを傾けられるパワーというのは、期間限定品なところがありますから、ね。まあ、その対象は恋でなくても構わないのかもしれないけれど、だんだんと余計なものに力を削ぎ取られていく前に、一度、自分以外の何かで自分をいっぱいにするという経験は、しておいた方がいいのではないかな、なんて思うのです。

◎     ◎     ◎     ◎     ◎

「永遠」というものに対する、怖れと憧れを、私も確かに持っていました。しかし、変わらないものはないのだと知ること、何かの終わりを知ること――永遠と思われた世界に限りを付けていく、限りが付けられていくことで、人は大人に近づいていくのかもしれません。

いろいろなものをあきらめた末、ようやくたどりついた永遠の出口。 私は日々の小さな出来事に一喜一憂し、悩んだり迷ったりをくりかえしながら世界の大きさを知って、もしかしたら大人への入り口に通じているかもしれないその出口へと一歩一歩、近づいていった。

懐かしさに振り返るだけでなく、今まで歩んできた道を確かめ、そして到着した今の場所から、また新たなる明日へ向かう活力を与えてくれるような物語。森絵都さんが、児童文学というジャンルの枠を越えた作家であることを改めて感じます。時代背景的に、第二次ベビーブーム世代には特にオススメしたい作品です。

(2006.04.09 読了)

「風に舞いあがるビニールシート」  森絵都著  文春文庫  ★★★★☆

あらすじ

(裏表紙より)
才能豊かなパティシエの気まぐれに奔走させられたり、犬のボランティアのために水商売のバイトをしたり、難民を保護し支援する国連機関で夫婦の愛のあり方に苦しんだり……。自分だけの価値観を守り、お金よりも大切な何かのために懸命に生きる人々を描いた6編。あたたかくて力強い、第135回直木賞受賞作。

自分には関係ない、と目をそむければすむ誰かやなにかのために、私はこれまでなにをしたことがあるのだろう?

(『犬の散歩』)

感想

基本的に長い長い物語が好きなので、短編というと、それだけで満足度が低くなりがちなのですけれど(^^;)、この作品集は、まったくそういうところが気になりませんでした。お話のテイストが、それぞれ違っていて、かつ、濃密だったからかもしれません。共感する部分や、ハッとさせられる文章も多く、「良い本に出会えたなあ」と、しみじみ感じているところです(^^)。

「器を探して」
窯元の青年との新しいラブ・ストーリーが始まる、とか、ヒロミの凋落が描かれる等(←かなりベタではありますが(^^;))、一発逆転の展開を迎えるのだろうと思いきや、まさかのラストにビックリ仰天。いやあ、だって、普通こう来たら、恋人とは絶対別れると思いませんか?(笑)

瀬尾まいこさんの「天国はまだ遠く」を読んだ時にも感じたのですが、料理の仕方次第では重く鬱々となりそうな内容なのに、妙にあっけらかんとした明るさがあって、とても楽しく読み終えることができました。主人公が、悲劇のヒロインにならず、意外とちゃっかりしていて強かだったことが、一番の要因かしら?(笑)

それはさておき、美味しいものって、ホント、人を単純に平等に幸せにしてくれますよね。主人公がここまで惚れこんだスイーツを、ぜひ食べてみたいです♪

「犬の散歩」
一番好みのお話かもしれません。いろいろ身につまされる部分がありました。逃げないで、ちゃんと見つめないといけないですね。そして、頭で考えるだけでなく、実際の行動に移さないと。

しかし実際、そこにあったのは日常の至るところに影を落とす悲劇の一部にすぎなかった。多くの人々が目をそむけ、あるいは見なかったふりをして通りすぎるたぐいの後ろ暗い現実。自分の理解を超えるほどの惨劇がそこにあったなら、逆に恵利子一時的に仰々しくうろたえて終わりにできたかもしれない。が、下手に理解の範疇にあったからこそ、その痛ましさ、救いのなさに足下をすくわれ、気がつくと身動きがとれなくなっていた。

自分自身にも身に覚えのある気持ち。動けないでいる私に成り代わってもらったかのような心地良さだけでなく、一つの戒めとして痛みを感じ、動き出すきっかけにできたらなと思います。

さて、この作品を読むと、自分にとっての「牛丼」は何か、ということについても、考えずにはいられません(笑)。一つは、やはり、本が挙げられるでしょうか。「これだけあれば、文庫本が何冊買える」などと考えることは、日常茶飯事。あとは、観劇チケットですね(笑)。基準は、バレエのS席の相場18,000円。「宝塚のA席なら、3回も観に行けるじゃん! だったら、いいよね(←何が?)」と自分に言い聞かせては、うっかりチケットを取ってしまうのですよねえ(←何かがいろいろと違う)。

また、恵利子に子どもができることを諦めていない義母にも、良い意味でリアルさを感じました。恵利子に感情移入していればなおさら、その言葉に傷付かないわけではないのだけれど、それはそれであるがままに受け入れられるというか、義母の気持ちもわからなくはないかもと思わされるというか……。物語に厚みが増し、より「本当」になるのは、こうした、人の持つ多角的な面を見せてもらう瞬間なのかもしれません。

「守護神」
古典の解釈が、とても面白かったです。日本文学専攻でしたが、こんなにちゃんとレポートに取り組んでいなかったよなあ、と反省してみたり(^^;)。

「鐘の音」
これだけ読むと、森絵都さんの作品だとは、なかなかわかりそうにありません。すごく硬質な印象。その作風の違いに、一番に驚かされました。

これを読む前に、登場する仏像の実例を見ておきたかったなあ。

「ジェネレーションX」
「東京国際マラソン」という単語が何度も出てくるので、みんなでマラソンに参加する話なのかと思っていました(笑)。

野田と石津の、いろいろ苦労はありつつも、地に足の着いた「日常」が、とても愛しくて眩しかったです。そして、十年に一度を彩る「非日常」もまた。何か良いですよねえ、こういう同窓会。園芸部だった私なら……十年に一度の田植えかしら?(←稲を育てていたこともあります・笑)

「風に舞いあがるビニールシート」
「犬の散歩」にも少し通じるところがあるでしょうか。紛争や戦争に苦しむ人々の現実の重さをしっかりと感じさせつつ、スッと受け止められるようなお話でした。エドの最期には、やはり泣かされてしまいますね。涙で昇華してしまえば終わるものではないけれど。誰かの肌のぬくもりを感じながら迎える最期は、たぶんきっと、すべてはこれでよかったのだと――そう、信じさせてもらえます。

綺麗なことだけでなく、人間の持つリアルな影や闇、悪の部分も描かれてるにもかかわらず、読んでいる途中も、読み終わっても、とてもとても気持ちが良い短編集でした。ああ、やっぱり読書って素敵だな(^^)。オススメ。

(2009.04.14 読了)

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